日本人は、数千年にわたって木を炭に変えつづけてきました。
木炭は縄文期より前の遺跡からも見つかっているといわれます。文字より、稲作より古い技術です。なぜ人は、木をそのまま燃やさず、わざわざ炭にしたのか。
富山県朝日町・笹川の土窯で炭を焼く立場から、この長い歴史を書きます。
木ではなく炭を選んだ理由
生の木は、燃やすと煙が出ます。水分が多く、火力も安定しません。
炭にすると、この欠点がすべて消えます。煙がほとんど出ず、高温が安定して続き、軽くなって持ち運べる。そして何より、腐らない。
木は放っておけば朽ちますが、炭化させた木は何年でも保存できます。エネルギーを蓄えて、使いたいときに使う。炭はエネルギー保存の先駆けでした。
古墳時代には、すでに高度な技術があった
古墳時代の出土品には、備長炭に匹敵する硬さの炭があるといわれます。
硬い炭を焼くには、高温を安定して保つ窯と、火を制御する技術が要ります。千数百年前の日本に、それがすでにあったということです。
たたら製鉄も、刀鍛冶も、茶の湯も、日本の文化の火はほとんど炭が支えてきました。炭は台所の燃料であると同時に、技術と文化の基盤でした。

炭俵が運んだ暮らし
かつて炭は、わらで編んだ炭俵に詰めて運ばれ、蓄えられました。
山で焼いた炭を里に下ろし、町へ運ぶ。冬を越す燃料を秋のうちに買い置く。炭俵は、いまの灯油のポリタンクにあたる生活の単位でした。
笹川でも50年以上前は、どの家でも炭を焼いていました。冬場は炭焼きの出稼ぎに行く人がいたほどで、山の木が集落の生計を支えていました。
ガスと電気が来て、炭は消えかけた
高度経済成長期、燃料はガス・電気・石油に置き換わりました。
台所から火が消え、炭焼きは全国で一斉に廃れます。笹川でも炭を焼く人は年々減り、途絶えかけました。約30年前に職人たちがグループを組んで技術を受け継ぎ、いまは2人が焼いています。笹川50年の記録に詳しく書きました。
それでも炭が残っている理由
いま炭を使うのは、必要に迫られてではありません。炭火でなければ出ない味と時間があるからです。
遠赤外線で焼いた魚や肉の味。七輪を囲む食卓。火を見ながら過ごす夜。数千年使われてきた燃料は、便利さで負けても、豊かさでは負けていませんでした。

昔と同じ焼き方を続けています
笹川の窯に、温度計はありません。煙の色と匂いを頼りに、火入れから5日、冷ましに7日をかけて焼きます。縄文人が見ていたのと同じ、煙と火の変化です。
そうして焼いた黒炭が、ほたる炭です。炭ができるまでの工程と市販の炭との違いは、トップページにまとめています。数千年続いた技術の、いまの形として使ってもらえたらと思います。